ちょっと後先になってしまったが、約6年ぶりに日記を更新した、いや6年間更新しなかったことをお許し願いたい。
親しい友人に怠慢をなじられた。その通りである。
日が経っているので、日記とは言えないと思うが、その6年間の成果というか印象的なことをかいつまんで紹介してみようと思う。長文になってしまうがお許しを。
一つめはなんと言っても、今年8年目に入った毎月恒例のメロメロポッチ・ライブであろう。
(客が数人のときもしょっちゅうある中で)よくぞ続いてきたものだと我ながら感心する。
自分の弱点は「飽きっぽい」ことであると思っている。7年以上一カ所に住み続けられない。同じ場所で連続して演奏するのも最高で1年間。といった具合であったが、どちらもただいま更新中なのである。ただ長く続ければいいものではなかろうが、自分にとって「継続」から得たものは大きかった。
それまでは「空間」を物理的な意味でしかとらえていなかったけれど、毎月、同じ「空間」で、それも同じ楽器で演奏してみると、その「空間」が目には見えないもの、たとえば天候、その時の人間(聴衆)の気、大きくは宇宙のリズムなどの影響で大きく変化している、いやまったく別空間になっていることに気づかされるのである。
ほんとうに違うのである。同じ楽器を20年以上も使っているのに、毎回、まったく異なった音、初めての音に出会うのである。驚きである。
楽器の変化より、自分自身が「空間」の影響を受けて日々刻々と変化していく度合いの方が大きいのだろうが。一瞬たりとも「同じ空間」、すなわち「同じ自分」は存在しないということだ。理屈ではわかっていたつもりであったが、ここまでとは・・・。
メロ・ライブで初めて『細胞からの音に出会う瞬間』というタイトルを使ったが、7年を経た今、ほんとうの意味でこのタイトルを実感しているのである。

二つめは、昨年10月にCD『The Live 2003 細胞からの音に出会う瞬間』をリリースできたことであろうか。
表向きは3枚目のCD発売であるが、そこに行き着くまでにいろいろあったのである。
ちょうど日記が中断される頃からASOBIという(アフリカのジャンベというドラムを中心に使った)パーカッション・グループの指導を任された(今も続いているが)。これが自分にとっては想像以上の難物で、本来の演奏活動に加えて、ASOBIに付随する悩みやストレスが大きく圧迫してきたのである。誤解のないように付け加えておくが、現在のASOBIは人数こそ減りはしたが(それでも15人くらいはいる)、完全自立を果たし、やる気満々で、先々が楽しみなグループになっている。ASOBIについての紹介は別の機会にさせていただくが、大いに注目してやっていただきたい。
O'BATAにとってはこうした慣れぬ指導と、自分の持っている「不安感」と「欲」からくる様々な仕事上のトラブルで、一時はかなりナーバスになり、やる気を失いかけていたのである。
ただそんな大変な中においても、前述のメロメロポッチ・ライブだけは継続できていたのは奇跡?まさしく「クモの糸」状態だったのであるが、自分にとっては「音」しかない。「音だけを追いかける一人のアーティスト」としてもう一度やり直そうと思えたのはメロ・ライブのおかげかもしれない。
そんな状態からの再出発をかけたコンサートが、このCDの音源となった2003年12月の学習センターホール・ライブなのである。
このときのコンサートはO'BATAのソロ活動にとってターニングポイントとなったと言っていいかもしれない。それまでコンサートホールを聴衆にとって非人間的な無機質空間と考えていたから(自主企画において)使用することを意識的に避けてきたのであるが、空間にこだわるより、自分にとっての生命線はやはり「良い音」、そして(音響機器で拡声しない)「生音」ではないだろうかということで、あえて音が比較的良いと言われていたこのホール使用に踏み切ったのである。O'BATAにとってはわりと大きな決断であった。
とにかく、 今はお客さんというか他者のことを考えるのはひとまず置いておいて、自分自身を中心において「内なる言葉」を思う存分聴いてやろう!別な言葉で言うならば、「自分自身をもっと大事にしよう」と言うことだろうか。具体的には、気を遣うべき共演者も、PA(音響)などの余分なスタッフもアナウンスも喋りもまったくなく、最小限の灯りの中で、「音になりたい」とただただひたすら音だけに集中するメロ・ライブのコンサートバージョンとなったのである。ふと気づいたのだが、ドイツやアメリカなどの海外でのO'BATAコンサートはまさしくこんな感じであったように思う・・。
その結果、びっくりしたのはほとんど疲れなかったこと。それに途中、子どもの頃に帰っているような感覚で軽くやれたこと。などなど。。。。愉しかったのだろう。国内では久しくこんな感じを忘れていた・・。
それに、そんなに多くの聴衆ではなかったけれど反応がすこぶる良かったのである。
自分が喜び・満足すると、それを見た周りの人たちも喜び・満足するといった基本的なことを気づかせて(思い出させて)くれたコンサートであったように思う。

以前のO'BATAならライブ録音もそのためにわざわざエンジニアを頼んだだろうが、最小限のスタッフで「軽くやりたい」、そして「記録でいい」という2点の理由からホールにお願いしたのである。だいたいO'BATAは気が弱いせいか、せっかく録音・録画されても、仕事とかで追い込まれない限りほとんど耳・目を通さない。怖いのである(苦笑い)。
こうして録れた音源も例外ではなく半年ほど放っておかれていたのであるが、コンサートを聴けなかった友人から是非とも録音を聴かせてほしいとリクエストされ渋々重い腰を上げたのである。
それで初めて録音を聴くことになるのだが、その時の自分の印象は「このハイテンションなおじさんは誰?」(笑い)。自分では「普通に軽くやった」という記憶しかなかったから驚いたと同時に、この音源はけっこう一般の人にとってキツイんじゃあないか、ハードすぎてCDにしても誰も買わないんじゃあないかという弱気の虫が顔をのぞかせたのであるが、ただそれは杞憂であった。何人かの信頼おける、それも実際のコンサートを聴いてない友人に聴いてもらったのであるが、すごく評判が良くて、是非ともCDにしてもっと多くの人に聴いてもらいたいとまで言ってもらったのである。嬉しかった。
それに、よくよく考えてみるに、O'BATAの音は元々そんなに一般受けするようなタイプでないから、受ける受けないって悩んでいるのは変な話なのである。まだまだ「受けたいO'BATA」がいるんだね。ハハハ。
さあCD化するぞ!と言っても実際は簡単な話ではないのである。いろいろとやらねばならないことがあるのだが、その中でも最も重要と思われるものにマスタリングという作業がある。自分でCDを出されたことがある方はご存じだと思うが、簡単に言うならば、家庭用の様々な再生機で聴いてもそこそこで聴けるようにするための最終音調整かな??微妙に違っていたらゴメンナサイ。何せそれまでのCDはほとんど他人任せだったものだからね。
ただ、このマスタリングによってずいぶん音が変わってくることだけはその時点でも素人ながら知っていたのだが、このマスタリングも今回はあえて自分でやってみようと思った。経験、そしてまともな機材もほとんどない状態で最高は望めないのは重々承知していたが、前述の「軽くやりたい」という流れと、楽器に一番近い場所にいる人間の耳に聞こえてくる「自分自身の音」にこだわり、そして「O'BATAの美意識」を信じてみようと思ったのである。開き直った言い方をするならば、「自分がOKなら、どんな音でもいいのではないか。最後に責任をとるのは自分なのだから」。実は、このことはO'BATAの演奏スタイルそのものだったはずなのだが・・・。
結果は、(約一ヶ月の)にわか仕込み・付け刃でやった割には上手くいったと自画自賛している(笑い)。

CDジャケットのカバーアートは長年の友人であり、O'BATAワールドの良き理解者である河内正明氏の作品を使わせていただいた。この場を借りて改めて「おおきに!」
こうやって2003年12月時点のO'BATAを記録するアルバム『The Live 2003 細胞からの音に出会う瞬間』が完成したのであるが、思い出すに、(アメリカから帰国した直後)ソロ活動を開始した当初は、すべてのことを一人でやっていたんだよね。
とにかく、このCDは「初心に戻れた」記念のアルバムには違いない。
一人でも多くの人に聴いていただきたい。
自分にとって「身軽さ」は何物にも代え難い「宝物」であることを気づかせられるこの数年である。と同時に「体力」の必然性を痛感させられる今日この頃である(苦笑い)。
前日記へ
次日記へ
|